星野富弘・講演『ココロのたべもの』

富弘さんイメージ図

とっても落ち着く声の方でした。
興福寺山田寺仏頭に似てらっしゃった…
星野富弘さんについては小学校時代から、後輩にあたる先生達からお話をよくきかされた。
器械体操の部活動の指導中に鉄棒から落下、頚椎を損傷し以後首から下の運動機能を失う。

  • 御年約60歳・白髪の富弘さんのこれまで
    緞帳が上がって姿を現した富弘さんは、車椅子に座りっていた。紹介があってからお話を始めるまで、あまりの神々しさに、ギリ到着のくせに前から2列目ど真ん中に座った私は慄いてしまった。講演がキライでめったになさらないという富弘さんも少々緊張していたらしい。会場となった県民会館はもと、群馬大学のあったと所でココは丁度、講義を受けた部屋です。と、この会の主催の飯塚さんとの学生時代の関係を『まるで、結婚式の挨拶みたいですが〜大学時代飯塚くんは〜』とユーモアを交えながらお話し始めた。『役に立つようないい話はできないとおもうんですが。』の前置きで。星野富弘全詩集〈1〉花と
  • 笑わせてくれる富弘さん
    最近発刊したに掲載されている、小学校6年の『えんそくの朝』を誤字もそのまま朗読する。『僕の作文は本題に入る前に終わってしまうんですけどね』(笑)当時の担任の先生は“とてもよく富弘くんの性質を現している”と言ってくださったそうですが、でもこのときの自分の事を文章に表す楽しさはスッカリ忘れて体育の道に歩むことになったのですが。
    いくら30年以上前のことでも、大事故のことを話すのは辛いと思う。思い出すと思う。『一ヶ月くらいは絶望と、人工呼吸器の音で全く眠れなかった。手の爪も7本が死んでしまった。一秒がとても長く感じ、頭の中は将来の不安で真っ暗だった。』
    しかし暫くして昔覚えた詩吟*1の一説がふと頭に浮かび、真っ暗だった頭が、その詩の世界へ遠く自分が漂っている気分になった。そのとき自分も釤生きる力になるものを心に蓄えたいな”と、思ったそうです。花よりも小さく (花の詩画集)
  • 手も口もいっしょ
    富弘さんは口に絵筆を咥え花々を描き、今は美術館もできているんですが、最初は友人にもらった手紙の返事を自分で書こうと文字を書いたのがことの始まりだったそうです。その友人の『お前、口で書いても、手で書いても字が変わらないな。』という言葉から『文字が同じなら絵も描けるはずだ。』とお見舞いに頂いたお花をかきはじめ、それが病室から少しづつ話題になり、個展を開くようになり、そこで『家では“まさこ様”って呼んでるんですけどね。』(笑)足繁に個展に顔を出す奥様のまさ子さん出合ったのだそうです。CLOCKS OF DIFFERENT PACES―英文版花の詩画集『速さのちがう時計』
  • 鼻に歯ブラシ
    沢山お話になって水を飲むにあたり、まさこさんが舞台に現れる、富弘さんの右からお水を口に運ぶ。こうやって過してきた富弘さんの毎日がその瞬間背後に広がって見えた。
    奥さんとの日常を綴った詩が朗読される。
    「買物帰りの妻と一緒に歩こうと車椅子で迎えに行く、向こうから妻が自転車で姿を現す、そうして自分の横を猛スピードで走りぬける。アゼンとして家で喧嘩になる。『あたしだってたまには1人になりたいわよ!』と反論される。喧嘩をしても食事の時間は来て、補助をしてくれるのは奥さん。歯ブラシを鼻の穴にいれられたらどうしようと心配する。』といった内容。愛、深き淵より―筆をくわえて綴った生命の記録
  • 文章表現で大切なこと
    この講演は日本作文*2の会のイベントで、富弘さんも『僕の絵じゃなくてそこに添えた詩があったからよかったと思うんですよ』とおっしゃるが、それは謙遜だと思う。絵画表現にも共通な大切な発言に頷く。
    『作品は全部口実筆記で妻が行っているんですが、上手い文章を書こうとしたら駄目で、感じた事、見たままを素直に。人間には汚い厭らしいところも確かにある。それも認めてかく。それには信頼関係が最も大切で、妻に言い辛い事もあるけれど、そこには信頼があるからやって来れた。文章は奇麗事ばかりだとツマラナイ。』
    ありのままを話、それを信頼関係で受け止めるという事はは、広く社会に役立つことで、大切な教育だと思います。とのお話でした。まさ子さんは口実筆記始めると、途端家事が忙しくなっちゃうそうですが。星野富弘詩画集カレンダー 2005年版
  • 自分にできること
    『首から下が動かなくなって、今まで無意識でやってい事、全て言葉に置き換えて人にやってもらわなければになって、簡単で解りやすい言葉が使えるようになった。それが詩作に役にたった。』前向きでなんて強いんだろうと自分のウジウジが恥ずかしくなる。
    教育大学学生時代に寝てばかりいたなんて笑わせてくれてましたが、『教育の成果は直ぐには出ない。そう教わったのを覚えています。がんばってください。』

最期は軽快に車椅子を操って、満場の惜しみない拍手にバックでずっと笑顔で退場し、元気な姿を見せてくださいました。