石内都 Infinity ∞ 身体のゆくえ

ぐんまの森はほんと森

http://www.mmag.gsn.ed.jp/exhibition/ishiuchi.htm
肌の露出の多い写真っちゅーと、例えば職場で自分が使うPCの壁紙にしてあっても、女性がセクハラと取ればセクハラと訴えられる類のものを目にすることが多いですが。
入って直ぐ取り囲まれた大判のモノクロ写真は。
学校の保健新聞の症例写真的な一瞬イタイ作品がずらり。
これは広島の被爆者の体傷だそうな。
大きく傷がクローズUPされ顔がトルソの様にトリミングされた作品は、それでもその人たちの生活の表情を静かに感じさせてくれる。
アンダー気味の暗いモノクロ写真だが、傷を負った人の逞しさを醸している。

自分的に物を今、大削減政策である。「自分が今、死んだらコレどおするのだろお。」そんなことを考えて整理している。
後半の作品は、被爆者の遺品を撮ったカラー写真である。
物の写真っていうと、ファッション雑誌やカタグでばかりだが、使い込まれ形跡のある物の写真も、ヤフオクの商品画像とは少し違い、使用者の人柄が威風堂々想像できる。
物の力は人によるものなのだな。

物同様、美術作品は言葉は何も語らない。
しかし、その存在をにふさわしい言葉を自分で探すのも、自分にとっても楽しみの一つだ。

言葉によるコミュニケーションと非言語コミュニケーションの歪みかみたいな作品。
↓↓↓↓↓
screenshot
これ見てみたな。
美術作品は眼で見るものだが、写真等で済ませては魅力は全て分らない。
音楽もLIVEに行くのと同様に、作者と同じ立ち位置で作品を感じると、新たな眼の感覚に気が付く。と、おもふ。